さくらんぼの話
私はクリームソーダが大好きだ。
入ったお店のメニューにあると絶対に飲んでしまうし、美味しそうなクリームソーダを求めて遠くの街まで平気で出向いてしまうくらい好きだ。
他の好きな食べ物に対する「美味しいから好き」という理由とはちょっと違う。クリームソーダを前にしたときの、あのワクワク感が堪らなく好きなのだ。私にとってクリームソーダは、目にするだけでトキメキをくれる宝石みたいな存在だ。
昔、まだみんながジャニーズJr.だった頃。神宮寺くんが岩橋くんのことを「玄樹はクリームソーダの上のさくらんぼみたいな人」と言っていた。
私はクリームソーダを飲む度に、彼のこの言葉を思い出す。
クリームソーダの上のさくらんぼ。それは「カワイイ」の象徴だ。ソーダを注いだグラスにただアイスクリームを乗せただけでは、クリームソーダはきっと完成しない。ソーダの上で可憐に輝く真っ赤なさくらんぼがあって初めて、クリームソーダはあのトキメキを放つ。そもそもクリームソーダ自体がとびきりカワイイ物だし、更にその上に乗せられたさくらんぼはそのかわいさを決定づける「カワイイの頂点」みたいな物だ。
だから、骨の髄までじぐいわ担である私は神宮寺くんが岩橋くんをさくらんぼに例えたという事実が破茶滅茶に好きなのだ。神宮寺くんが、岩橋くんのことを「カワイイの頂点」と認識していることがよくわかる、至高のエピソードだと思っている。
私にとってじぐいわはクリームソーダみたいな存在なのかもしれない、と最近ふと思い立った。
ソーダとさくらんぼ、それはクリームソーダを構成する絶対的なペアである。その相性は見る者全てが認める抜群さで、2つ揃うことでその魅力が二倍どころか何十倍何百倍にも膨れ上がる。そんなのまさにじぐいわじゃないか。
たっぷりと注がれたソーダは神宮寺くん。シュワシュワと爽やかな甘さを放ちながら、いつも優しくおおらかにさくらんぼを支えている。その可愛さを他の誰よりも信じ、「ずっと俺の側で輝いていて」と願っているかのように、水面にその煌めきを反射させながら温かな愛を送り続けている。
グラスの上で光るさくらんぼは、やっぱり岩橋くん。この世の可愛いもの全てを制覇し、可憐に輝く「カワイイ」の象徴。その存在は見る者をときめかせ、気づけば皆その存在に夢中になる。さくらんぼは、ソーダに全ての体重を預けている。心から信頼し、「僕のことなら何でもわかってるでしょ?」と安心した様子でその魅力を目一杯に放つ。
ソーダの上で輝くさくらんぼ、つまり神宮寺くんの隣で輝く岩橋くんが好きだ。ソーダ自体が大好物のわたしは、もちろんソーダを飲むだけでもとびきり幸せだ。でもやっぱり、ふとした瞬間にクリームソーダのトキメキが恋しくなってしまう。しょうがないよ、だってそのトキメキを知ってしまっているから。一度飲んだら忘れられないくらい、そのトキメキは鮮烈なものだから。
いつまでも好きで、いつまでも楽しみにしているよ。またソーダの上で可憐に煌く姿を見られる日を、ずっとずっと待ってるからね。